【私の悩み】自信がない自分を変えるために…【ブログを始める理由】

日常

私は、昔から自分の言動、行動に自信を持てずに生活してきました。何をするにも頭からモヤモヤが離れず、人の目や顔色を常に気にするような状態です。

誰かに相談しても、「もっと自信を持っていいと思う」や、「毎回会うわけじゃないんだから人の目は気にするな」など、わかりきった答えが返ってくることがよくあります。


答えを返してくれるだけでもありがたいのですが、それらは自分でもわかっていることなので、なんの解決策にもなっていないのです。

そこで私は、こういった悩みは心に留めておくのではなく、言語化してなんらかの形で残すことで楽になるのではないかと考えました。

なぜなら言語化して形にするということは、頭の中の情報がある程度整理されていないとできないからです。言葉や文章にしてアウトプットすることで、問題や課題が見つかったり、新しい視点が生まれるような気がするので、ここで形にしていきたいと思います。


この記事では、私の自己紹介を踏まえながら、思っていることを書いてみようと思います。ほとんど自分のために書いているようなものですが、こう言った悩みを抱える人は少なくないと思うので、興味のある方はぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。

自信のなさはどこからくるのか

結論から言うと「人は居場所を求める生き物」だと言うことです。ほとんどが右に倣えの日本がその最たる例ですよね。他の人と違うことをしていると不安になったりする人もいるのではないでしょうか?

周りに合わせないといけないという潜在意識がどこかにあって、居場所を失うことで感じる疎外感が辛いんだと思います。

さらに、周りに合わせるということは、少なくとも集団に属している状態とも言えるため、集団が評価されているのにもかかわらず、あたかも自分が評価されたように錯覚しますよね。虎の威を借るなんとやらってやつです。

評価を受けていた人間は、評価がなくなってしまった瞬間に気力も自信も失くしてしまい、徐々に自尊心が低くなってしまいます。

とある時期までは、あまり悩みがなくいい感じで来ていた人が、新しい環境に身を置くことになったときにいろんな問題が浮き彫りになるのは、「集団としてしか評価されていなかったから」か、「個人を尊重して評価してくれていた人が近くにいなくなってしまった」からだと思います。

大抵そういう人は過去に縋ってしまう気がします。今でも私は「あの頃はよかった」とか思う時があります。

自信がない人はあの頃を思い出してみてください。きっとその時は自信がある程度あって、適切な評価を受けていたんだろうと思います。もちろん、揺るがない居場所も持ち合わせていたのではないでしょうか?

周りに合わせてきたことで起きた弊害

私は最近まで、大学に行くことが幸せになる近道だと思い込んでいました。浪人してまで行っているのですから、当時の私はよほど必死だったのでしょう。

「このままじゃ社会で通用しない」「この歳になって、こんなこともできないのか」と散々言われて育ってきた私は、社会に出るのが怖かったので、当然進学以外の選択肢なんてありませんでした。しかし、周りに合わせて始まった大学生活も、3年生になる頃には辛くなってしまったのです。

卒業や就活と言う文字が頭をよぎるほど胸が締め付けられ、次第に大学に行くたびに動悸を感じるようになり、少しずつ行くことが困難になっていきました。



絶対になりたくないと思っていた引きこもりになってしまったこと。

その頃は、毎日ゲームをして過ごしていました。唯一、自信を持てた気分になるツールであることは確かですし、SNSで友達を作り、ゲームの腕を認めてもらい、頼られることで、そこに心地のいい居場所を感じていたことも確かです。

しかし、この生活もいいことばかりではありません。引きこもりになったという現実が自己否定に拍車をかけ、その都度ゲームの世界に浸って現実逃避を繰り返していました。当然、留年もしました。

留年したことで気づけたこと

留年したことは親に相談しましたが、どういった経緯で留年したかは詳しく話していません。これ以上悲しませたくないという心理と、怒られたくないという心理が働いて、どう伝えたらいいかわからなくなるんですよね…

それこそ見放されるんじゃないかという恐怖がそうさせているのかもしれません。

さらに、自分の親を含め、その周りの大人たちも、私の性格上公務員がいいんじゃないかと勧めてくるわけです。

一時期、公務員の勉強をしていたこともあります。でも、魅力を感じなかったので1ヶ月もしないうちにやめて、親には勉強してると嘘をついていました。

見捨てられないように、いい子であろうとしたり、逆に迷惑をかけて手のかかる子と思わせたりしてたんだと思います。これもまた、居場所を求めるための手段ですよね。親離れをしようと頑張っているつもりが、いつの間にか依存する状態になっていたんだと思います。

引きこもることで生まれた大量の時間は、いつのまにか自己否定の時間から、自分の行動を見つめ直す時間へと変わっていきました。

私が引きこもっていた期間はだいたい1年半です。コロナが社会問題になったことで、世の中の働き方に疑問を持ち始め、ゲームの他にもやってみたいことを模索し始めました。皮肉にも、自分の生活を救ってくれたのはコロナでした。


就活がつらいならしなければいい。

これが私の出した答えでした。どうせあと一年あるのなら、めちゃくちゃ勉強して、自分の価値を高め、自力で稼げる術を身に着けるしかないと思い、独学でプログラミングを勉強することにしたのです。

周りの大人は甘ったれるなと言ってきそうだけど、そんなの自分には関係ありません。結局、私の人生なのですから。幸せの尺度なんて人それぞれですし、今を幸せと感じることができたら誰であろうと、どんな状況であっても、それが幸せなんだと思います。

知らないうちにレールにはまっていたことに気が付く

就活もまた居場所を作るための手段なのではないか。

自分にとって就活は、企業に認めてもらうために自分を売り込むってイメージなんですよね。

ただ、自分は嘘に嘘を重ねて自分をよく見せようという、言わば、他人の評価の中で生きてきたわけです。人に認められるように自分を締め付けてしまっていたので、疲れちゃったんですよね。

これ以上嘘をついて自分をよく見せて企業に売り込むのは気がひけるし、内定をもらって働くことになっても精神的に消耗して、心の余裕が無くなってしまうと感じたため、世間で言う”安定”というレールから外れる決断をしました。

自分を変えるためには

受け身のままでは何も変わらない

物事が上手くいったら嬉しいですよね。ここで大事なのは自分から動くことです。ただ一つ気をつけるべきこととして、人に褒められようとしてやらないでください。あくまで自分のためです。

人に褒められることを目的にしてしまうと、その人の価値観に囚われて、もっと褒められたいと思うようになってしまいます。そうなるともう依存です。

ほんとうに評価されている人には、勝手に人はついてきます。最初は自分の理想に近づくように行動するのがいいかと思います。

しかし、求める理想が高すぎて挫折してしまうかもしれません。それでも、行動に移したという意味では、何もしていない人よりも先に進んでいるのです。

挫折したとしても、自分を否定せず、素直にどこまでできたかというのを受け入れ、どうすれば次に進めるかを模索するのが努力です。自分を否定してしまった途端に劣等感に苛まれて、そこで成長がとまります。

失敗しても、次にどう活かすかを考えることができれば、それは失敗とは呼びません。

諦めてしまったら、それこそ失敗でしょう。

失敗=部分的成功


これは、ホリエモンの動画をたまたま見たときに使われていた言葉です。気になる人は、「部分的成功」でググってみてください。たくさん情報が出てきます。

また、成功の点数を下げることも大事だと思います。ずっと満点を出し続けられる人なんてほぼいないわけですからね。妥協をしろということではなく、自分にとっての100%をだして、それがある程度の点数を越えればいいって感じです。どんどん挑戦してみましょう。

自分を変えるのは自分の意志次第

変わりたいと思った自分が最初にしたことは、目標を作ることでした。

プログラミングを通して自由な生活をしてみたい。

かなり抽象的な目標だと思う人もいるかもしれません。しかしこの目標は、その時の自分を動かすには充分すぎる動機でした。

しかし、自己否定の癖はなかなか抜けません。壁にぶつかるたびに不安、モヤモヤを生み、ネガティブなイメージが頭を覆い尽くしてしまいます。

その度に思考停止し、やりたいことがわからなくなるというループをやめたいです。

もっと目標を具体的にイメージしていれば、余計なことを考えずに済むのかもしれませんね。

努力は強いられてやるものでもないと思いますし、ちゃんと自分の望む目標を持ちたいと思います。

まとめ

  • 解決法は自分が変わること
     →他人に助けを求めても、一時的な慰めにしかならない。
  • 自信は自分を受け入れることで少しずつ身につけるもの
     →努力や毎日の積み上げで、少しずつ成長する。
  • 他人の評価を気にするのは、やめよう
     →自分の人生です。好きなことをしましょう。

最後に

ここまで読んでくれてありがとうございます。拙い文章で申し訳ありません。

書きたいことがどんどん湧き出てきて全然まとめられた気がしないです。ほぼ自己満足でしたが、こうして書いてみることで心が軽くなった気がします。

私は、このブログを通して成長したいと思っています。プログラミングで学んだことのアウトプットで使うこともあるでしょう。ただ一つ主張したいことは、褒めてもらう目的でやっているわけではありません。

ここでは、人として成長、自立する過程を見守っていて欲しいです。

どうしようもない奴ですが、これからも読んでいただけると嬉しいです。繰り返しではありますが、ここまで読んでくれてありがとうございました。

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