【捨てられますか?】頭の中にはゴミが存在する②【常識はゴミ】

読書

こんにちは、つなです。

今回は前回の続きで、『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』(苫米地英人 著)から学んだことをアウトプットしていきたいと思います。

この本はこういう人におすすめ
・自己肯定感が低い人
・モヤモヤが頭から離れない人
・変わりたいと思っても、その一歩を踏み出せない人

前回が気になる方はこちら

【捨てられますか?】頭の中にはゴミが存在する①【感情はゴミ】
こんにちは、つなです。 みなさんは、頭がモヤモヤしたり、ごちゃごちゃしたりしていませんか? そして、そのモヤモヤの原因がどこからくるのか説明できますか? 今回は、そういった悩みがどのようにして生まれるのかを『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬...

「自分」とは何か

いきなりですが、「自分」とはなんでしょう。

誰かに「自分」の情報を話すとき、なんと言いますか?

出身? 趣味? 好きなもの? 性格? 答えられることはたくさんあるでしょう。

しかし、それらの情報。「自分という存在そのもの」の情報ではなく、「自分と関係のある存在」に関する情報ですよね。

「自分」を定義しようとしても、使える情報はすべて「他者」の情報。ということは、「自分」とは、「他者の情報」でできているということ。 「自分」とは、「他者との関係にまつわる情報」が寄り集まったものなのです。

『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』(苫米地英人 著)より

考えてみてください。あなたのその性格は誰が判断したものですか?

誰かがあなたに対してそう言ったから、そういうことにしているのではないですか?

そうやって「他人の目」の寄せ集めが今の自分を形作っていると言っても過言ではありません。

あなたは自分なりのモノサシで自分の価値を計ればよい。自分のモノサシで自分の仕事ぶりを評価し、自分のモノサシでワークライフバランスを計り、自分のモノサシで自分の働き方・生き方を決めていけばいいのです。

『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』(苫米地英人 著)より

価値観の更新をする

世の中の常識や、価値観は、「親の刷り込み」「他人からの評価」「メディアによる刷り込み」など、様々な形で、私たちの生活に溶け込んでいます。

例を挙げるとしたら、学力の測り方、テレビのCMや番組、他人のSNSの投稿とかですよね。

特にCMとかになると、明らかに順風満帆な感じの生活を見せつけて、家だったり、車だったりと結びつけるじゃないですか。これって誰かの価値観による「幸せ」を押し付けられている気がしませんか。

家があるから幸せなのか?車があるから幸せなのか?全然そんなことはないはずです。不便そうな生活をしている人でも、そこに幸せを感じていたりする人もいます。

欲しくて買ったものでも所有してみたら、なんか違うと思ってしまうのも、「物」と「幸せ」を結びつけてしまっているのではないのでしょうか。物を持っただけでは、憧れのキラキラした生活は手に入りません。むしろモヤモヤが増えます。

他にも、テレビでたびたび紹介される美しい人や、いわゆる成功した人たち。そんなものを見てしまうから、現実の自分とのギャップに傷つきモヤモヤしてしまうのです。

資本主義の世の中。比べることは日常的に起こっています。しかし、先天的なモノを比べるのはナンセンスだと思います。また、他人との比較もしない方がいいでしょう。唯一比較していいものは、努力で補えるものにしましょう。一方的に傷ついて余計にモヤモヤします。

私が思う美しい人の定義は、自分の人生をしっかりと生きている人だと思います。

話をすれば愚痴だらけ、他人のうわさ話や、過去の話をよくするような人に、私は魅力を感じません。

愚痴を聞くのほど消耗することは無いですからね。自分の心まで荒んだ気分になります。

もしかしたら、これも自分が作り上げた価値観とは言えないかもしれません。ただ一つ言いたいのは、良識の範囲で自分が心惹かれるものに正直になってほしいです。

価値観を刷り込んでくるような「他人のモノサシ」「常識のモノサシ」「周囲の目」なんかは、粗大ゴミです。まとめて捨ててしまいましょう。

これまでの自分との決別

一つ、テストをしてみましょう。あなたが昨日会った人の顔を思い浮かべて、絵を描いてみてください。家族でも友人でも同僚でも、昨日会った人なら誰でもかまいません。また、絵の上手下手も関係ありません。とにかく、昨日会った誰かの顔をできるかぎり正確に思いだし、忠実に絵に描いてみるのです。その人は昨日、どんな髪型で、別れ際にはどんな表情をしていたでしょうか。3~4分で絵に描いてみてください。そして、できあがった絵を、実際にその人と比べてみます。すると、実物どおりに描けている人はほとんどいません。どんなに愛している恋人や家族だったとしても、たいていの人が何カ所も間違って描いています。つまり、私たちは、毎日見ているはずの親しい人の顔でさえ、実際はよく覚えていないのです。見ていると思っていても、実は単に見た気になっているにすぎません。過去に見て、記憶になんとなく入っているから、見ない。ということは、「私たちが今見ている世界は、過去の記憶によって成り立っている」ということです。

『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』(苫米地英人 著)より

脳のフィルターの役割を担うRAS(網様体賦活系)は、昨日までの自分が重要だと判断していたものを今日も重要だと判断します。

RASは、これまでの自分とは関係の薄い情報をシャットアウトします。普段は聞き流しているニュースでも、自分の関心がある情報に関する物が聞こえてきたら見てしまうのも、RASが働いているからです。

雑音の中で相手の声が聞き取れるのも、RASが必要な情報だと判断して、雑音をシャットアウトしているから聞こえるのです。

なぜ、RASの説明をしたかというと、便利に見えるこの機能があなたの世界を狭めている可能性があるためです。

もう少し説明すると、RASは自分の興味に沿うように分野を厳選して、見える範囲を狭め、仕舞いには自分が居心地がいいと思える領域(コンフォートゾーン)を維持しようとする役割を果たしています。

自分の問題点がわかっていて変われないのは、まさにこの現状を維持しようとする機能が働いているせいなのです。

多くの人が「自分を変えたい」「変わりたい」と思っても変われないのは、「変わりたい」と言いながらこれまでの自分を手放そうとしないからです。なぜ手放そうとしないかといえば、刷り込まれてきた借り物のモノサシに頼っている方が楽だからです。

『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』(苫米地英人 著)より

これを踏まえて、過去の自分をどう捨てるか考えてみましょう。

今のあなたの脳内のコンフォートゾーンは、過去のあなたから出来上がっています。「他人のモノサシ」「常識のモノサシ」は粗大ゴミという概念を知る前から既に作られているはずですよね。

ということは、今あなたが快適だと思っている領域は、他人からの評価によるものです。

「昔からそう言われてきた」「昔からこうだった」と過去に言われたことに執着していませんか?心当たりがある人は、間違いなく過去ベースで生きていると言ってもいいでしょう。

私も、この本を読むまでは過去に執着し、ひたすら原因を探していました。アドラー心理学で目的論を学んでいたのにも関わらずです。原因を探して、その奥にある目的を考えていましたが、時間の無駄でした。とても反省しています。

悩むなら過去を捨て去った方がすっきりします。まぁ、これがすんなりできたら誰も苦労しないんですけどね……

ここで、私が本から学んで主張したいことは、過去は現在の自分にとっての解釈でしか無いということです。「未来が過去をつくる」という考え方をもってほしいのです。

「未来が過去をつくる」とは

例えば、先週友だちと喧嘩して家に帰ったとしましょう。あなたは、家に帰って喧嘩のことで頭がいっぱいになり、後悔したとします。

そして、今日その友だちに会ったとき、仲直りしたとします。冷静になってお互いの誤解が解けたことで、今あなたは胸を撫で下ろして、気が楽になりました。

これは、今起きたことが、過去の出来事に解釈を与えています。後悔した過去が、なんでもない過去になったわけです。

友達と喧嘩別れした瞬間から見ると、友人と再開して仲直りしたのは未来ということになります。

他にも、不運なことが続いたとして、最後の最後に不運を打ち消すようにラッキーなことが起こったとしましょう。ラッキーなことが起こった未来からすれば、不運はこのラッキーのためにあったんだと解釈することができます。

つまり、未来の解釈が過去を変えたわけです。気をつけて日常を観察してみると、未来によって過去が変わるという例を日常的に体験しています。

ここでいう未来は、ゴールのことだと思ってもいいでしょう。ゴールから道が伸びていて、自分はその上に立っていると考えればいいのです。

なぜ私が、未来の話をしたのかというと、これが「自身を変えること」につながってくるからです。

現状を維持する機能と「変わりたい」の葛藤

ホメオスタシス:生体が変化を拒み、一定の状態を維持しようとする働きのこと。「恒常性」とも呼ばれる。

コンフォートゾーン:心理的ホメオスタシスが維持しようとする従来の環境・ライフスタイル。居心地のいい領域。

今のライフスタイルを変えたい思っていても、なかなか変えられなかったり、新しく挑戦したいことが三日坊主になって終わってしまったりするのは、ホメオスタシスが働いて、コンフォートゾーンに引きずり込もうとしているのが原因だったりします。

私たちは自分では意識せずに、「自分がラクでいられる範囲」の中にとどまっています。「自分は昔から目立たない地味な人間だ」と思っている人は、知らず知らずに目立たないように行動し、目立ちそうになると冷や汗が出て思わずその場を立ち去るなど、強力なホメオスタシスが働きます。「目立たない」ということが、その人にとって「ラクでいられる範囲」だからです。

『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』(苫米地英人 著)より

既に習慣化してしまった行動は直そうとしてもなかなか直らないものです。

マイナスの自己イメージというゴミを捨てる

刷り込みを行ない、頭のゴミを生産しているのは、他者だけではありません。自分自身も、自分に対して日々、刷り込みを行ない、モヤモヤを量産しているのです。

『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』(苫米地英人 著)より

私たちは、常に頭の中で自己対話をしています。

「会社行きたくない」「自分はどうせだめだ」「早く帰って寝たい」「さっさとやれよ」など、ネガティブなものもあれば、

「よかった」「ほっとした」「やっぱ〇〇さんはいい人だ」「きれいな場所だな」など、ポジティブなものもあります。

よほどの自信家ではない限り、実際にはネガティブな自己対話の方が圧倒的に多いです。

なぜなら著者は、多くの人は自己イメージがマイナスに偏っていると言っています。

そして、自己イメージがマイナスであるほど、自己対話もネガティブになって、自己評価をさらに下げるという悪循環に陥ります。この流れが無限ループして、自尊心や自信が無くなります。本当に悪いことしかありません。

私たちは自己イメージに沿うように思考し、行動します。

例えば、「自分は人見知り」という自己イメージがあるとする。すると、知らない人に会いにいくのが嫌になり、出かける前にお腹が痛くなったり、熱が出たりと、体も自己イメージに合わせて反応します。なんとか会いに行けたとしても、緊張して声や手が震えたり、上手く話せなくなったりします。

これは、先ほども言ったホメオスタシスが自己イメージに対して働くことが原因です。

もちろん、脳は普段の自己イメージをコンフォートゾーンとしていますから、それに沿わないことをしようとすると、体を一定に保とうとする機能が働いて、負の連鎖から抜け出せなくなるのです。これが先ほどの人見知りの例の裏側で働いていることです。

失敗体験は思い出さない

私たちは日々、自己対話によって、自己イメージをさらに強固なものにしています。私たちは1日におよそ100回、自分を定義する言葉を口にしたり、心の中で発したりしていると言われています。

『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』(苫米地英人 著)より

上司に怒られたときのことを思い出して、「あの時は最悪だったな…」という自己対話をしたとしましょう。その時脳内では、失敗をもう一度体験したかのような臨場感が生まれます。実際にそれが起こっている場面に身を置いているような生々しい感覚を感じてしまいます。

実際には一度しか起こっていないマイナスの出来事について、マイナスの自己対話を繰り返すと、脳の中では何度も同じことを経験したということになり、「ダメな自分」を自分で刷り込んでしまうことになります。

生命を維持するために同じ失敗をくり返さないように、脳は失敗体験を強く記憶します。もともと私たちは、ポジティブな記憶より、ネガティブな記憶の方が強く残るようにできているのです。 〜〜中略〜〜 誰にだって失敗はあります。失敗するから学習し成長するのです。しかし失敗にとらわれて自己評価を下げると先行きはマイナスになる。  ですから、失敗の事実は認識しながら、失敗によって自己評価を下げないということが大事になります。  失敗したときに、「しまった!」「最悪!」「自分がダメだから失敗したんだ」と思わないこと。ただ、「自分らしくないな」と思えばいいのです。自己評価は高く保ったまま、「こんなのは自分らしくない。もうしないぞ」と考えます。  これはそのまま他人への言葉がけでも同じです。  失敗をした他人に対して、「君らしくないよ。ほんとはもっとできるんだから」と言えば、その人は自己評価を落とすことなく失敗から学ぶことができます。

『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』(苫米地英人 著)より

私はこれが真理だと思います。失敗したことを一番理解しているのは、その人自身です。その失敗に対して激しく責めてしまえば、失敗を思い出したとき「言葉」「情景」「感情」のセットがフィードバックして強烈な臨場感となって現れ、「失敗をするダメな自分」をさらに刷り込んでしまうことになるわけです。

成長して欲しい人がいるのなら、マイナスの感情をいかにして取り除いてあげるかが重要だと思います。

さて、私は前回、脳は昨日まで重要だと思っていた世界を、今日も重要だと判断することを書きました。これは、他人に対する評価についても同じことが言えます。

どういうことかというと、他人を判断するとき、過去の情報をもとにその人を判断してしまうのです。

過去ベースに他人を見ると、その人が少しだけ変わったとしても、過去の情報のフィルターを通して見てしまうので、少しの変化が盲点(ストコーマ)の中に隠れてしまい、結局その人を今までと同じように見てしまうことになります。

脳は目の前の世界を見ているようで見ていないことが多いため、「今見えているであろう情報」を「過去の情報」で補っているのです。

このしくみは残酷です。例えば、重要な交渉の前に、上司から「君は意見をはっきり言えない性格だから、気をつけて」と声をかけられたとします。

上司は気を遣って言ったつもりでも、言われた側の脳内では、過去の「意見を言えなかった気の弱い自分」が蘇り、余計に自分の意見を言えなくなってしまうのです。

では、上司はどう声をかけたら良かったのかというと、「君は意外と言うときに言うやつだ」と言ってあげれば良いのです。

昨日までのあなたが何で構成されているかといえば、それは他人からの刷り込みです。「本当はこうしたい」「本当はこうなりたい」というあなたの本心の願望とは無関係の言葉であり価値観です。「本当はこうなりたい」というあなたの願望にとっては無意味な刷り込みなのですから、一言で言えば「ゴミ」です。そのゴミにもとづいて他人はあなたに意見を言っているのです。  ということは、「モヤモヤしてきたこれまでの自分をリセットしたい」と思っているあなたにとって、どんな他人の意見もそれはモヤモヤのもと。ゴミです。

『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』(苫米地英人 著)より

変わってもらいたい人が身近にいたとして、なかなか変えられないのは、その人自身が変わりたいと思っていないか、かけてあげる言葉を間違っているのかもしれませんね。

最後に

さて、2回にわたってこの本から学んだことをアウトプットしました。

今回書いた内容は、本の前半部分です。本来ならば、8つの頭のゴミを捨てたほうがいいのかもしれませんが、本当に重要だと思ったことを書きました。

これだけじゃモヤモヤが取れないと言う人は、一度本を読んでみることをおすすめします。

私はこの本を読んで、自分の意思とは別に脳が勝手に判断しているという事実に衝撃を受けました。

いままでは、自分の意思が弱かったと思っていたのですが、実はそうでなく、脳が一定の価値観を基に習慣として判断してしまっていたのが原因だとわかりました。

また、脳の仕組みを理解し、逆に利用してやることで自分を変えることができるということがわかりました。

自己啓発とかスピリチュアルなことを気にするのではなく、脳の構造そのものを書き換えてしまう方が遥かに楽だなと感じました。

自己啓発なんか特に、〇〇しなければという義務感が生まれ、最終的に幸せになれたとしても、長続きしないと思うのです。

脳は仮想世界と現実世界の判断ができないからこそ、いかに理想の自分を信じてゴールを設定することが重要かがわかりました。

教育の洗脳から解かれたときに、新しい自分が出来上がるんじゃないかなと思いました。

ここまで見ていただきありがとうございました。

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